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『ココア共和国2022年9月号』佳作掲載と感想

拙作「ここからここまでが」が、詩誌『ココア共和国2022年9月号』投稿詩佳作集Ⅰに掲載されました。佳作集は電子版のみの掲載です。 ココア共和国|あきは詩書工房|月刊「ココア共和国」9月号 「とにかくみんなで詩を楽しもうよ」ということが目的のB6版の月刊詩誌、9月号が発売です。電子版は368ページになり、より多 www.youyour.me 平明な言葉に、日々ふと感じるような不条理感を込めてみました。 よろしければご観賞ください。 ここからは、佳作集投稿詩の作品についての感想です。 同年生の方々の詩を対象としてみました。 沢井港一「映画的未来世紀をアップデートする」 フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(あるいは映画なら『ブレードランナー』?)を意識して書かれた詩のようです。 ハッピーエンドもバッドエンドも、それらが対立項であるかぎりはおよそ等価のように思えますが(いずれにしろ「エンド」であるならば)、詩人の「アップデート」の方向性がハッピーエンドやバッドエンドをも乗り越えていくことを、未来的に期待してみたいところです。 現代詩ジェントルマン「世間」 「僕は雄叫びをあげながら コンテクストの裏側に回り込む」というフレーズが面白いです。結局の所、詩でもなんでも、望むと望まざるとに関わらず、何らかの文脈によって判断されるのが世の常です。つまり、「書いていないこと」によって「書かれたもの」が位置づけられるわけです。世の作家の方々は、それを意識しつつ世に作品を産み落としているのでしょうが、やはりどこか不条理感は否めません。詩中に<>や()でくくられた言葉も、それらをコンテクストから隔離すべく配置されているのかも知れないですね。 酉果らどん「ぼくの両親はテレビジョン」 「街を歩く人間たちは 徐々にニセモノにすり替わり 知らないうちにロボットに」という箇所で、諸星大二郎の『夢みる機械』を思い出しました。それはさておき、同号の傑作集でも笠原メイ氏の「テレビジョン」という詩がありまして、まぁ何だか身近な大人たちはテレビに対してアレコレ取り留めもない文句を楽しそうに言い続けるものだなぁ、直接的に社会の課題をどうにかしようという気もなさそうなのになぁ、と常々感じていた私は、「両親はテレビジョン」(酉果らどん氏)や「父親はテレビが宗教だった」(笠原メイ氏)などの...

『マルドロールの歌』の要約と考察

【マルドロールの歌とは】 フランスの詩人、ロートレアモン伯爵作の散文詩集(1869年作)。 悪の化身「マルドロール」を歌い手(語り手)とした悪逆的・奇想的な文体が特徴。 「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会い」というフレーズなど、後の20世紀シュルレアリストたちに影響を与えた。 【ロートレアモン伯爵とは】 本名イシドール・リュシアン・デュカス。「ロートレアモン伯爵」は筆名で、デュカスに爵位はない。 1846年、南米ウルグアイの首都モンテビデオで生まれる。 1870年、モンマルトル通りの住居で死去(享年24歳)。 他の作品に『ポエジーⅠ』、『ポエジーⅡ』。生前はほぼ無名だった。 【マルドロールの歌の構成】 マルドロールの歌は第一歌から第六歌までの六つの歌からなる。 それぞれの歌は五から十数の章節で分けられ、全体で六十の章節により構成される。 以下では各章節ごとの主題(らしきもの、テーマと思しきもの)を取り上げて、簡易的なインデックスとして要約している。※ロートレアモンは章節に題名などは付していない。 第一歌  第一章節  読者への警告、渡り鳥の鶴について  第二章節   読者の憎悪について  第三章節   マルドロールの善良な幼年時代について  第四章節   自分の天才について  第五章節   笑いについて  第六章節   自らが危害を加えた無垢な子供を、優しく慰める幸福について  第七章節   ツチボタルと淫売について  第八章節   田園の犬の遠吠えについて  第九章節   年ふる大洋について  第十章節  地上の動物たちと人間の奇妙な喧騒について  第十一章節  ある父と母と子の家族について  第十二章節  ノルウェーの墓掘り人夫について  第十三章節  ヒキガエル君について  第十四章節  第一歌の結び 第二歌  第一章節  人類と邪悪さについて   第二章節   血だらけになりながら第二歌を書き始める  第三章節    ローエングリンについて   第四章節    不定形の塊から逃げる乗合馬車について  第五章節   狭い路地の少女について  第六章節   チュイルリー公園のベンチに座っている子供について  第七章節   両性具有者について  第八章節   聴覚、音、声、叫びについて  第九章節   虱について  第十章節   数学、三角形につい...

ノート4 「礫の朗読」応募について

【応募した企画】 「#礫の楽音」×「現代詩手帖」コラボレーション企画 「#礫の朗読」作品募集 【制約条件】  朗読のための作品 Twitterで投稿 #礫の朗読を含めた140文字以内 【作品】 流れる川を みおくる鳥も かろんかろんと 軽んじられて 投げたつぶては 還らず沈み 泡のおとずれ 揺蕩いうねる 恋し恋しと 君を呼ぶのは さいの河原の 児のなみだだけ #礫の朗読 — 依田稽一(Keiichi Yoda) (@KeiichiYoda) March 11, 2022 【解釈】 自分の作った詩の解釈を自分でするなんてナンセンスだがそこはそれ。 たまにはいいんじゃないか。 作成のテーマとしたことはふたつ。 ひとつはリズム。 「朗読のため」なのだから、声に出して読むことを想定したリズムがほしかった。 七五調を検討したが、結果として七の音数律の繰り返しという形になった。 もうひとつは「礫」という字。れき・つぶて・こいしと読む。 つまり小さな石のこと。そこからイメージを広げた。 「流れる川を みおくる鳥も」 小石があるのはどこだろう。川のそばだ。 川は流れるし、Twitterのタイムラインも流れていく。 流れるつぶやきをみおくる鳥は、Twitterバードなのかも。 「かろんかろんと 軽んじられて」 小石を握ってこすり合わせたとき、小石が敷き詰められた川のそばを歩くとき、 「かろんかろん」と音のする気がする。 かろんは、過ぎた論なのかもしれない。 流れていく小石と、それをみおくる鳥も軽んじられている。 「投げたつぶては 還らず沈み」 軽さのままに投げられたつぶては、川の中に沈んでそのまま還らない。 つぶてはつぶやきであり、言葉、あるいは軽んじられた誰か。 「泡のおとずれ 揺蕩いうねる」 川に投げられたつぶては、泡をうむ。川の流れ、うねりに包まれる。 「おとずれ」は「訪れ」であり、不可避の「音ズレ」でもある。 泡は誰かの生きの呼吸、声にならない声の捉えがたい形なのか。 「恋し恋しと 君を呼ぶのは」 当たり前のように「恋し」と「小石」をかけている。 「さいの河原の 児のなみだだけ」 賽の河原、すなわち親より先に死んだ子どもが逝く冥土。 父母供養のために石を積むあの世。 声ではない「なみだ」が、君という誰かを呼ぶ。 なみだは流れ、流れる川とひとつになる。 ここに詩は循環する。 ...

内藤丈草の句 “水風呂の下や案山子の身の終” についての解釈

今日は内藤丈草の句についての解釈を書こうと思う。 内藤丈草は江戸時代の俳人で、松尾芭蕉の弟子。 (芭蕉の弟子の中でも特に優れた十人のうちのひとり「 蕉門十哲 」に数えられるとか) 筆者が内藤丈草について知るきっかけになったのは、 梶井基次郎の「冬の日」という短編小説である。 肺病を患う主人公が、友人に心情を吐露する場面で丈草の句を引き合いに出すシーンがある。 “「自分の生活が壊れてしまえばほんとうの冷静は来ると思う。 水底の岩に落ちつく木の葉かな。 ……」 「 丈草だね 。……そうか、しばらく来なかったな」” ( 梶井基次郎「冬の日・五」より ) 木から離れた葉の一片が、河に流れて沈み、やがて水底の岩に落ち着く。 病に引き摺られながらもなんとか保とうとしている生活。 それがいっそ壊れてしまったほうが、落ち着くところ――ほんとうの冷静 ―― に落ち着けるのではないか。 自らの行く末に対する切実な感覚を照らし合わせている印象的な場面だ。 今回取り上げるのは、これとはまた別の俳句である。   水風呂の下や案山子の身の終  (『炭俵』) ※季語は「案山子」で秋。 おそらくかまどの上に風呂桶がある様式の風呂。 案山子は役目を終えて藁や竹に解体され、燃料としてかまどに焚べられたのだろう。 (基次郎が引いた 、木の葉が水底に落ち着く句と、情景の流れは通ずるものがある。 ) 案山子といえば田畑で鳥獣よけに立てられている・立っているのが通常のイメージだ。 だがこの句ではそのような案山子の「身の終わり」が描写されている。 いわば多くの人が「案山子」に対して抱くイメージの外に焦点が当てられているわけだ。 案山子という対象についてのイメージを広げているだけではない。 あえて田畑に立つ案山子を直接的に描写せず、その最後を描いている。 それによって「かつては田畑で立っていた(であろう)案山子」の姿が、 時間と空間を超えてありありと想起される仕掛けである。  独りでも田畑に立つや案山子の身 (筆者の作) なんて詠んでみたところで、そりゃ案山子なんだから当たり前だろう、と読者に思われて句の終である。 田畑に立つのをやめて、火に焚べられる。 二度とは田畑に立てないからこそ、案山子の案山子らしさは鮮烈に燃え、輝くのである。 何かの終わりのその瞬間にこそ、対象のすべてが凝縮されているように感じる。 ある...