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駅で男は目覚めた※

駅で男は目覚めた。蝉のジリジリとした鳴き声が、内耳の裏側で鳴り響いていた。男は今や季節が冬となっていることに気がついた。周囲の静寂。1メートル四方の静寂と、視線が届く範囲から想察される視線の届かない範囲から届けられた静寂。ただ蝉の鳴き声を除いた沈黙が、枯れ葉の擦れ合いさえも無音に留めていた。蝉の鳴き声は男の内耳を持続的に揺さぶるが、それが男の幻聴ではないことを男は知っていた。少なくとも蝉の鳴き声は、男の内から生じたものではなかった。かつて男が居た家、3番街、14番地、471号のあの家――屋根裏と、煙突と、格子窓のついた、他に何もない部屋――の暖炉から、その蝉の鳴き声は生じ続けていた。もしその家で男が生まれていたのだとしたら、冬の蝉はそこで鳴き始めなどしなかっただろう。しかし男は生まれてからしばらくして、その家に入り込み、日々を暮らした。男が家を出入りするたびに、蝉は密かに暖炉裏で抜け殻を増やし続けていた。男は意識していなかったが、実質的には男が蝉を飼っていたのだ。飼いならせてはいなかったのだが、男がその家にいる間、男は蝉を飼い続けていた。蝉は抜け殻のまま生まれ、抜け殻のまま暖炉の裏を栖とした。羽化をし損ねた抜け殻の蝉たちは、暖炉に燃え盛る火と燃えさしの間の時を餌として生きながらえていた。男の脳裏には、暖炉の裏一面にびっしりと張り付いた蝉たちの姿が浮かんでいる。鳴きもせず、蠢きもせず、震えもしない蝉の抜け殻たち。男は暖炉の中に痰を吐き出すことで、蝉と対話をしていたことを思い出した。しかし対話の内容と、言語と、目的は思い出せなかった。男にとって、蝉との対話は単なる習慣のなりそこないに過ぎなかった。蝉が鳴こうが鳴くまいが、男にはどうでも良かったのだし、対話はその体裁さえ取り繕われていれば、中身の交感は問題でなかった。対話の実施の事実さえあれば良かった。事実どころか、男自身が事実と認める事のできる程度の振りさえあれば良かった。蝉との対話は男の痰唾ではじまり、蝉の単眼から滴る涙で終わった。蝉にとっては、単眼から滴る涙が、暖炉の熱で乾ききるまでが男との対話であったが、男の知らぬその時こそが、男と蝉との飼育のただ一つの餌であった。男が蝉と居られなくなる前に、男がその家に居ることができなくなった。家と暖炉は一体であり、暖炉と蝉もおよそ一体であったが、男は暖炉とも家とも一体にはなれな...

イメージは後で

私はイメージの前で立ち止まる。薄れゆくイメージの前で、イメージに接収されていく私のイメージをただ見つめている。私と私のイメージの間にある視線のイメージは直線的であるが、瞼を下ろすことで閉ざされる暗闇のイメージは全面的である。眼球の裏側、視神経ではない血管の根が脳と接続し、こめかみの斜め上側面から乾きが私を後ろへ引いていく。イメージの表面を這いずり回る痒みが、ただ空を掻き壊す指の残像を生じさせる。私はイメージの前でただ瞬きをする。霞んだ視界のイメージを回復するため、霞んだ視界のイメージの前で、眼球に癒しの水滴を垂らすべく瞬きをする。私は目を瞑る。私の頭頂部のつむじの頂点から、天へと経路が結ばれる上昇のイメージを私は纏う。無限にも等しい距離が私と天との間には存するが、私と天との間には何ものも存しない。私が頭を振る方へ天は動く。私と天との距離は常に不定であるが、天の重みは時おり私と一致する。私のイメージは私のつむじに穴を開け、天と直通するエレベーターの柱を創り出す。私の指は私の頭の中心となるつむじを探すが、指先はいつも降りるべき地点を誤る。爪先のみが正しく髪をかき分け頭皮を抉る資格を得る。イメージの鏡は私の背後に立つ。イメージは私を映さない。イメージの鏡は私を映す。私のイメージがイメージの鏡を映す。イメージはイメージの鏡に映らない。清澄なるイメージがあたかも私のうちに滞留し、汚濁のように脳へ穴をうがつ腐食性の病巣として夜を囁いているが、それは私がイメージのうちに立つ私を、足をつける地なしに構成した因果に拠って目覚めさせたからに過ぎない。今も私はイメージの前で立ち止まる。形式上の眼を擦り、眼鏡の汚れを拭き取り、フケを払う。イメージの尿意が私を立ち上がらせようと、足を冷やす。私は私の両足を温めるために互いに絡め合い、踵で私の足を踏む。温かさのイメージが、底冷えのするイメージと混じり、両者の明白なる対立が際立つことで私に人肌と私の体温を忘れさせる。私の熱源探知機は、私の熱に色を与える。平面であり、グラデーションであり、雑音である私が、イメージの前で、コンマ数秒ほどの遅延とともに、立ち止まる。立ち止まる私は揺らぐ。私の顔面温度は、私の眼球と眼窩と眼鏡と瞼とその他の区別をつけない。天からストローのような柱がおりてきて、ミシン針のように頭頂部へと着陸する。潜り込んでくる柱は、私自身が...

スカラベ水晶と灯台ペリカン

私は言葉を生かしたいとは思わない。生き生きとした言葉を産みたいとも、言葉によって活き活きとしたいとも考えたことはなかった。むしろ私のやりたいことは、言葉を殺してしまうことだ。なすべきことと言い換えてもいいが。言葉を浮かび上がらせるのではなく、沈めてしまうこと。文脈を受け継ぐことではなく、断ち切ってしまうこと。豊潤なる意味の源泉を、汲み尽くして枯渇させてしまうことだ。或いは似たような試みは何度も何度も何処かの誰かによって既に行われているかもしれない。それについては否定はしない。だがそのことが、私の試みに対しての否定ともなりはすまい。あるいは私の試みの価値や希少性もとい新規性を損なうにしても、それは私にとってではなく、私の試みと過去の誰かの試みを較べてみる誰かにとってのことなのだから、やはり私にとってはどうでもいいことだ。むしろ過去の誰かの試みは、未来においてほかならぬ私によって行われるのだから、その限りある過去の時間を費やして行うべきではなかったということになりはすまいか、と反対に言ってみてやることも出来るだろう。未来を見通すことはできないのだし、単なる過去の不勉強の正当化だという指摘もあろうが、過去の試みは完了ないし中止されたことが確定したことである以上、私の試みが単なる過去の焼き直しのままで完了ないし中止するかどうかは未確定であり、その未来を見通すことは当然誰にもできないのだし、過去の試みにおける誰かが不勉強でなかったなどということは証せない以上、これらの指摘もそれに対する応答も結局のところ誰も行うべきではない、どうでもいいことのような気がしてくるだろう。繋がりを見出すことは、繋がりを見出すものに任せれば良い。位置づけは、位置づけたいものにやらせれば良い。私は他との関連や比較によって屹立したいのではなく、ただ自らの手で私のものを立ててみたいのだ。生まれる前のことも、死んだ後のことも、生きている間のことでさえ、厳密にいえば、私の知る由もないことばかりだ。後で面倒にならないように断っておくのだが、別に私は過去や未来や現在や他人のすべてがどうでもいいと言っているわけではない。むしろひどく重要なものであると捉え、同時に基本的にどうしようもないと思っているだけだ。だから変えたいとも変わってほしいとも、良くしたいとも発展させたいとも成長させたいとも、ましてや害したいとも腐らせ...

駅で男は目覚めた〜

駅で男は目覚めた。男の青白い陰茎が、男の目覚めと同時に目覚めていた。男と男の青白い陰茎は同胞であり、双子の兄弟でもあった。双子ではあるが、男と男の青白い陰茎は、似ているところが一つとしてなかった。そして同時に、似ていないところも一つとしてなかった。それは男と男の青白い陰茎の類似ないし差異を認める第三者がいつも欠けていたことによる。男を知る誰かはいたが、その誰かが男の青白い陰茎を知ることはなかった。男の青白い陰茎を知る誰かはいたが、その誰かが男を知ることはなかった。しかし、男を真に理解するためには男の青白い陰茎について知らねばならなかったし、男の青白い陰茎について深く理解するためには男についても知らねばならなかったので、男も男の青白い陰茎も、誰かに理解されている気はしていなかった。男が誰かの前に立つときは、男の目には男を男のようなものとして見る目しか映らなかったし、男の青白い陰茎が誰かの前で立つときにも、男の青白い陰茎の先には、本来男の青白い陰茎が納まるべきでない始発点が終着しているだけで、陰茎を陰茎のようなものとして受け入れる穴にしか入らなかった。男は丁重に扱われるにせよぞんざいに扱われるにせよ、男として扱われるのではなく、なにか別の男に準じて扱われていることを感じていた。その別の男には、男は一度も相見えたことはない。男は男の青白い陰茎を知り、青白い陰茎も男を知っているが、その別の男を知ることはなかった。別の男が男を知っているのか、男の青白い陰茎を知っているのか、両者を知っているのか、知るべきなのか知らざるべきなのかを、男は知らない。だがこれまで男を知っていた誰かは、その別の男を常に知っていただろうことを、男は知っていた。なぜなら男や男の青白い陰茎を知る誰かは、その兄弟の片割れを知るときに、やはりその兄弟とは別の男を知っているように知ることしかしていなかったからである。男は自らの影に、いやむしろ正確には、自らを影として常に誰かの脳裏に存在している別の男の存在を否応なく感じさせられていた。男が別の男の存在を感じさせられているとき、きまって男の青白い陰茎は、空腹を覚えていた。男の青白い陰茎にとって、自らが何かに準じて扱われていたとして、そう、例えば柱であったり棒であったりプラスチック製の玩具であったり机の角であったり指であったり舌であったり肉であったり体温であったり遺伝...

駅で男は目覚めた:

 駅で男は目覚めた。そんなことは露知らず、遠い異国の地で眠りについた女がいた。女の名前はエミリー、あるいはイヴ、あるいはジャンヌ、あるいはキャロライン、あるいはネリー、あるいはノリコであった。女は美しい女だった。どの程度美しいかと問われれば、その女を見たことのない人々の、各々の想像力が「美しい女」をイメージし、そのイメージを形作り、そのイメージを一定の期間、保持する程度を損なわない程度には美しかった。そして女は眠りについていたので、以降、女の美しさが損なわれていくことも、消耗していくことも、減衰していくことも永遠になかった。その美を損なおうとする何ものも、その美を損なうことなしにその美によって損なわれ、その美を消耗させようとする何ものも、その美を消耗させることなくその美によって消耗させられ、その美を減衰させようとする何ものも、その美を減衰させることなくその美によって減衰させられていた。人々の小さい腕に許されていたのは、ただその美から、人々を徐々に遠ざけることのみだった。1人の男は、女を呼ぶのではなく、女の名を呼ぶことで、女を遠ざけた。1人の男は、女を見るのではなく、女の絵画を見ることで、女を遠ざけた。1人の男は、女に触れるのではなく、女の皮膚に触れることで、女を遠ざけた。1人の男は、女の息を聞くのではなく、女の声を聞くことで、女を遠ざけた。1人の男は、女を想うのではなく、女の想い出を想うことで、女を遠ざけた。1人の男は、女を知るのではなく、女の知を知ることで、女を遠ざけた。1人の男は、女を遠ざけるのではなく、女から遠ざかることで、女を遠ざけた。女は眠りにつきながら、男たちの枕元で、つまりは男たちの人生から最も遠い場所で、歌のようなお喋りを続けている。「あたしはあたしのことをあたしが呼ぶよりも快く呼ぶあなたを待っていたわ。あたしはあたしのことをあたしが見るよりもよく見るあなたを待っていたわ。あたしはあたしのことをあたしが触れるよりも優しく触れるあなたを待っていたわ。あたしはあたしのことをあたしが聞くよりもうまく聞くあなたを待っていたわ。あたしはあたしのことをあたしが想うよりも深く想うあなたを待っていたわ。あたしはあたしのことをあたしが知るよりも多く知るあなたを待っていたわ。あたしはあたしのことをあたしが遠ざけるよりも、もっと遠ざけるあなたを待っていたわ。あなた...

駅で男は目覚めた――

 駅で男は目覚めた。正確には、目覚め損ねた。目覚め損ねるという過ちを犯すことを、これほど正確にしてのけることは、未だかつて男の目覚めに際して起こり得なかったことである。おそらくは夢の中でさえ、男がこれほどまでに目覚め損ねることはなかった。男はうーんうーん、と唸り声を上げるが、それは欠伸でも、起き抜けに気道を開こうとする試みでも、声帯の自発的な準備作業でもない。男の精神は確かに目覚めに向かっていたのだが、男の身体は正反対に眠りへと落ち込もうとしていた。男は精神と身体に引き摺られるままに、目覚めと眠りの間で引き裂かれていた。男は2つの側に引き裂かれていたが、眠りと目覚めの往復運動の繰り返しに伴い、頻度と個数でいえば2つ以上に引き裂かれていた。男は、男が2度以上引き裂かれていることはわかっており、それゆえに男が1つではなく2つ以上の断片に分けられていることを数え上げることはできていたが、それは男が引き裂かれていることを認識していたからにすぎず、男が果たして幾度引き裂かれ、幾つの断片と化してしまっているのかは数えられずにいた。だが、未だ男は男が断片であることを認識する程度には、男としての総体を維持し、再度の統合を希求することへの欲望を捨てずにいた。男の精神と身体は、「あちら」と「こちら」に引き裂かれていたが、「あちら」の男の断片にとっては「あちら」といってもそれは「こちら」であり、むしろ「こちら」の断片のほうが「あちら」にとっては「あちら」の断片であった。それは取りも直さず「こちら」の男の断片にとっては「こちら」が「こちら」であることを意味したまま、「あちら」の男の断片にとっては「こちら」も「あちら」であることを意味することを否定しなかった。ゆえに男の統合への欲望は、果たして「あちら」へと赴くのか、それとも「こちら」へと戻るのか、どちらの方向性も与えられずに、留保されていた。男は「あちら」と「こちら」のどちらに優位性――統合の主導権、主たる位置を占めるか――を与えるのかを決めかねる故に、方向性の賦与を留保していたというよりは、Aの断片がBの断片に統合されようと、Bに向かって集合しようと移動する際、まさにその同時期にBの断片がAの断片に統合されようと、Aに向かって移動するすれ違いを危惧するがゆえに、移動のきっかけとなる何らの意思表示も顕せずにいた。男は夢の中にいるがゆ...

駅で男は目覚めた…

駅で男は目覚めた。きっとこれが最後の目覚めであると、男にはわかっていたに違いない。走査するように男の視線は、視界に映る何もかもを、ひとつひとつ見つけていった。男は男の瞼の裏を見た。男は男の睫毛を見た。男は男の眼と眼鏡との間にある空気の層を見た。男は男の眼鏡のフレームを、そしてレンズを見た。男は男の眼鏡のレンズを通して男の眼前の空間を見た。男は男の手と爪と指と腕と手の甲と手の甲に浮き出る血管と第一関節と第二関節と第三関節と爪に溜まった垢と指に生えた産毛とを目の端に捉えながら、何か駅に相応しいものを見つけようとしていた。それは行き交う人々の姿であったか? いや、すでに行き交うに足る人々の質も量も賄われることはないことを男はよく知っていた。 それは駅に帰着するあるいは出立する電車の車体であったか? いや、もはや人や物を収め納めるための何ものも許されはしないことを男はよく学んでいた。 それは線路であったか? 踏切であったか? あるいは金網のフェンスや鉄条網であったか? あるいはそれらがどこかしら破損している姿であったか? あるいはただ破損しているその部分のみを見つけようとしていたのか? いや、いずれにせよ、行くべき方向も、戻るべき車庫も、通過を見届ける過程も、遮断するべき脅威も、囲うべき領域もないのだということを男はよく理解していた。だから男は誰かが何かのためにそこに置いていた、あらゆる何かのために誰かに置かれたものを見逃していた。植えられた木々も、設えられたオブジェも、待ち合わせている人も、駅の名前も。男が己の身体の断片――男の認識の極々一部のみを占めているがゆえに、男の認識の外側では広大無辺に膨張し続けている男の身体の非断片を証するそれら――と、男の存在を包むが支えはしない周囲の空間と時間と以外にその眼にしていたのは、男の父のような、男の師のような、男の上司のような、男の神のような、男にとって男以上の、男が男であり男として何かを行うに足る何かを男のものとして与えてくれるような強固な男のイメージを有した男の、墓標のイメージであった。墓標には、多くの業績が記され、「ここに死す」と結ばれている。当然のようにそれらは嘘だ。ここに死すわけはない。ならばどこに死す? ここではないどこかだ。駅ではないどこか。少なくともイメージの中で男は死ぬわけにはいかない。イメージの中で生きていたこ...

駅で男は目覚めた?

 駅で男は目覚めた。目覚めると同時に男は絶望した。なぜ自分は目覚めてしまったのか、と男は嘆いた。男は目覚めるべきではなかった。なぜかと言えば、男は目覚めるべきではなかったからである。目覚めるに足る理由もなく、目覚めていいことなど何ひとつもありはしなかったからである。男が目覚めることで喜ぶ人間は男を含めて一人もおらず、男が目覚めることで何らかの価値が生まれることを期待するものは一人としていなかった。男の目覚めに対して祝福は与えられず、ただ弔意の不在のみが嘆かれていた。なぜ自分はいま目覚めてしまったのか、と男は苦しんだ。今目覚めるよりも、もう少し前に目覚めることができれば、あるいはもうすこし後に目覚めることができれば、男にとってより望ましい結果が得られていたはずであった。なぜなら、仮に今目覚める前に目覚めることができていたとしたならば、男は今目覚めることに対して事前に何らかの措置を講じられていただろうし、仮にもう少し後に目覚めることができていたとしたならば、すでに何もかもが終わってしまっているのだし、多少の無力感や罪悪感は覚えるにせよ、自分を納得させるに足る正当性を携えて、事後処理に専心することが出来ていただろうからである。しかし、今目覚めてしまった以上、男には何の準備も、事後的に反省する正当性も与えられはしなかった。男は今目覚めて苦しまねばならなかった。なぜ自分はここで目覚めてしまったのか、と男は歯ぎしりした。せめてここではないどこかで目覚めていることができていれば、より自然に男の目覚めは受け入れられていただろうからである。たとえばベッドの上であればよかった。ベッドの上で目覚める多くの人は男の目覚めを受け入れてくれただろう。たとえば天国か地獄かであればよかった。語るのも億劫な、目覚めてしまう前のあらゆる経緯について、多くの人が適当な背景をでっち上げてくれただろう。たとえば移動する電車の客席の中であればよかった。いつの間にか、電車に揺られているうちに、移動の退屈さから、多くいる乗客のうちの一人として、受動のうちに眠り込み、その延長で目覚めていることが証されたであろう。しかし男はここで目覚めた。駅で。どこかに行かねばならないと男は歯ぎしりした。あるいはどこかに着かなければならないと、男は下唇を噛んだ。いっそのこと、自分以外の誰かが目覚めるべきだった、と男は思った。...

駅で男は目覚めた、

 駅で男は目覚めた。声が聞こえたような気がした。しかし自分を呼ぶ声ではなかった。別の男が誰かと話していた。誰と話しているのかはわからない。電話をかけているようだ。電話先の相手の声は聞こえないが、相手に向かって話す男の声はよく聞こえた。自分にかけられた声はよく聞き逃す男であったが、自分にかけられているわけではない声には、人一倍耳をそばだてることが常であった。目覚めた男は、目覚めたままに聴くことを始めていた。「よく聞こえない、よく聞こえないよ、駅だからね、いや今は電車には乗っていない、降りているよ、あー、よく聞こえないな、これから乗るところさ、まぁいいんだけどね、もう少し静かなところに行きたいな、え?なに?なんだって?、いや違うよ、行くんじゃない、帰るんだよ、だってもうこんな時間じゃないか、いつまでも帰らないわけにいかないだろう、それとも帰らないほうが、いや、よく聞こえないからね、大きくせざるを得ないんだ、声をね、静かな場所でもないかとは思うんだけど、あー、もしもし、もしもし、うーん、電波も悪いみたいだ、え?地下?いや、今は地下じゃない、屋根もないぞ、うん、おれに言っても仕方ないけどね、はい、はい、あー、ちょっとまって、別の電話がかかってきた、うん、ちょっとまって、急ぎかもしれないから、うん、仕事、仕事用、うん、また静かなところに行ったらつなぐから、うん、それじゃ、はい、はーい。「はい、もしもし、はい、はい、はい、あー、そうですか、はい、了解です、では、そのような形で、はい、引き続きよろしくおねがいします、どうも、はい、あ、少々お待ち下さい、念の為こちらでももう一度確認させていただきますので、はい、申し訳ございませんが、はい、一度、はい、後ほど、はい、はい、はい、失礼いたします、では。「おう、どうした、おう、おう、おーう? おう、おう、うーん、でもそれは、仕方がないんじゃないか、うん、いや、個人的な、あくまで個人的なあれだけどね、そっちのほうが、うん、おれはいいと思う、うん、まぁ、最終的には、うん、任せる、うん、まぁ頑張って、うん、なるほど、うーん、まぁ、まぁ、なんとかなる、うん、あー、それじゃ、それで、うん、また後で、状況動いたら教えて、もう次のアレ、始まっちゃうから、おう、その後で、おう、じゃ。「はいもしもし、はい、はい? はい、はぁ、うーん、はい、なるほど...

駅で男は目覚めた。

駅で男は目覚めた。生まれてから何度目の目覚めなのかはわからなかったが、生まれてから何度目かの目覚めであることはわかった。これは生まれてから初めの目覚めではない。そしておそらくは生まれてから最後の目覚めとなることもないであろう。そのような予感が男の重いまぶたを押し上げようともがいていた。仮に最後の目覚めであっても、目覚めるときにそれが最後の目覚めだと意識するものはそう多くない。ただ眠るときに二度と目覚めることのない予感に支配されつつまぶたを下ろすだけだ。男は、今そうしても良かった。目覚めてすぐ、眠りについてしまうことを選ぶ余裕が男にはあった。眠りについてすぐに目覚める余裕は持ち得ないのだが、永遠の停滞と混同される目覚めと眠りの曖昧な往復のなかではそれも些細なことであった。男はまぶたを意識的に下ろす。意識的に下ろすときに、男が眠りに入ることは多くなかった。たいていは無意識的に下ろされるとき、男は眠りに入ることを許されているような気がした。男は意識的に眠ることがなかった。眠る意志も、眠る意思もなく、眠っていた。眠る覚悟もなかった。おれではない誰かの意志で、おれは眠っているのではないか。男は度々そう考えていた。男は夢の中でそんなことをよく叫んでいた。目覚めているときには、どんなに小さい声だとしてもそんなことを口に出すことはできないでいた。そんなこと。そう、そんなことでしかない。おれがおれの意志で眠ろうと眠るまいと、目覚めようと目覚めまいと。男の思考は男のまぶたほど勤勉に、また定期的に働くことはなく、いつも中途で停止し、霧散していた。なにも残るものはなかった。引き継がれるものはなかった。目覚めの中断が眠りであり、眠りの中断が目覚めだとして、前の目覚めと今の目覚めに何らの連続性もなく、前の眠りと今の眠りに何らの伝統もなかった。それはおそらく今の目覚めの次に来るであろう目覚めに対しても、今の眠りの次に来るであろう眠りに対しても、要請される事柄であった。ただその非連続性こそが、眠りと眠りの関わりであり、その伝統の棄却が、目覚めと目覚めの共通バッジではなかったか。男は一日ということを信じられずにこれまで生きてきた。これまで、当たり前のように周囲の人は一日に一度ずつの目覚めと眠りを配当していた。男はしかし、他の人の一日に幾度もの目覚めと眠りを割り当てていたし、ときには一度の目覚めと眠り...

駅で男は目覚めた 

駅で男は目覚めた。朝日の当たるベンチの上で、いつの間にか座り込んでいた。いつから腰を下ろしていたのか、いつから眠りについていたのか、男にはわからなかった。どこかへ行かねばならない。立ち上がって、背を伸ばし、頬を張って、目を輝かせ、力強く一歩を踏み出さなければならない。何かが自分にそう命じている。いや、そうあるべきだという自分の憧れが、自分を追い立てるようにその影像を自分の脳に課している。行き先さえ定まればおれは立ち上がるだろう。力強い一歩を踏み出しさえすれば、次の一歩は勝手についてくるだろう。そうおれに教えたのは誰だったか。教えられたと思い込んでいるおれがいるだけだったのか。なにもせずになにかを学んだという気がしていただけのおれが。いずれにせよ男は駅から出発しなければならなかった。いつまでも駅にとどまることはできなかった。果たしてこの駅は始発駅であるのか、終着駅であるのか、中継地であるのか目的地であるのかも定かではなかった。そしてそのどれに該当したとしても、男にとっては大して意味がなかった。男はそこから始める気も終わる気もなく、続ける覚悟も止める意志もなかった。男にとっての問題は、自分の腰掛けるベンチに肘掛けがないことだった。正確には肘掛けはあるのだが、ベンチの端に設えられているために、男の坐っている位置からは届かないのであった。それは男にとっては肘掛けがないのと同じであった。男の肘は明らかに落ち着きを失っていた。肘のやり場のなさ故に、男は腕を組み、解き、脇を締め、そして緩め、腕を伸ばし、また折りたたみ、腕を伸ばしながら脇を締めたと思えば、すぐさま腕を組んだまま肩をぐるぐると回すように蠢いた。男は肘掛けの近くに躙り寄ることはなかった。一度立ち上がって、ベンチの端に移動することはなかった。誰かに命じられれば、あるいは少しは動いただろう。だが男に命じることのできるものは誰もいなかった。男自身にすら、男に対して何かを命じることはできなかった。男はそれをよく知っていた。忘れたいほどに知り尽くしていた。何かの偶然が必要だった。男の自発ではなく、外的な何らかの偶発によって、男がそこを離れるに足る必然が生まれることが期待されていた。男は男に何らの期待もしていなかったが、ただ男にそうさせる何かに対しては限りないと言っていいほどの期待を抱いていた。その期待だけが、肘掛けを持たぬ男を支...