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駅で男は目覚めた※

駅で男は目覚めた。蝉のジリジリとした鳴き声が、内耳の裏側で鳴り響いていた。男は今や季節が冬となっていることに気がついた。周囲の静寂。1メートル四方の静寂と、視線が届く範囲から想察される視線の届かない範囲から届けられた静寂。ただ蝉の鳴き声を除いた沈黙が、枯れ葉の擦れ合いさえも無音に留めていた。蝉の鳴き声は男の内耳を持続的に揺さぶるが、それが男の幻聴ではないことを男は知っていた。少なくとも蝉の鳴き声は、男の内から生じたものではなかった。かつて男が居た家、3番街、14番地、471号のあの家――屋根裏と、煙突と、格子窓のついた、他に何もない部屋――の暖炉から、その蝉の鳴き声は生じ続けていた。もしその家で男が生まれていたのだとしたら、冬の蝉はそこで鳴き始めなどしなかっただろう。しかし男は生まれてからしばらくして、その家に入り込み、日々を暮らした。男が家を出入りするたびに、蝉は密かに暖炉裏で抜け殻を増やし続けていた。男は意識していなかったが、実質的には男が蝉を飼っていたのだ。飼いならせてはいなかったのだが、男がその家にいる間、男は蝉を飼い続けていた。蝉は抜け殻のまま生まれ、抜け殻のまま暖炉の裏を栖とした。羽化をし損ねた抜け殻の蝉たちは、暖炉に燃え盛る火と燃えさしの間の時を餌として生きながらえていた。男の脳裏には、暖炉の裏一面にびっしりと張り付いた蝉たちの姿が浮かんでいる。鳴きもせず、蠢きもせず、震えもしない蝉の抜け殻たち。男は暖炉の中に痰を吐き出すことで、蝉と対話をしていたことを思い出した。しかし対話の内容と、言語と、目的は思い出せなかった。男にとって、蝉との対話は単なる習慣のなりそこないに過ぎなかった。蝉が鳴こうが鳴くまいが、男にはどうでも良かったのだし、対話はその体裁さえ取り繕われていれば、中身の交感は問題でなかった。対話の実施の事実さえあれば良かった。事実どころか、男自身が事実と認める事のできる程度の振りさえあれば良かった。蝉との対話は男の痰唾ではじまり、蝉の単眼から滴る涙で終わった。蝉にとっては、単眼から滴る涙が、暖炉の熱で乾ききるまでが男との対話であったが、男の知らぬその時こそが、男と蝉との飼育のただ一つの餌であった。男が蝉と居られなくなる前に、男がその家に居ることができなくなった。家と暖炉は一体であり、暖炉と蝉もおよそ一体であったが、男は暖炉とも家とも一体にはなれな...

駅で男は目覚めた〜

駅で男は目覚めた。男の青白い陰茎が、男の目覚めと同時に目覚めていた。男と男の青白い陰茎は同胞であり、双子の兄弟でもあった。双子ではあるが、男と男の青白い陰茎は、似ているところが一つとしてなかった。そして同時に、似ていないところも一つとしてなかった。それは男と男の青白い陰茎の類似ないし差異を認める第三者がいつも欠けていたことによる。男を知る誰かはいたが、その誰かが男の青白い陰茎を知ることはなかった。男の青白い陰茎を知る誰かはいたが、その誰かが男を知ることはなかった。しかし、男を真に理解するためには男の青白い陰茎について知らねばならなかったし、男の青白い陰茎について深く理解するためには男についても知らねばならなかったので、男も男の青白い陰茎も、誰かに理解されている気はしていなかった。男が誰かの前に立つときは、男の目には男を男のようなものとして見る目しか映らなかったし、男の青白い陰茎が誰かの前で立つときにも、男の青白い陰茎の先には、本来男の青白い陰茎が納まるべきでない始発点が終着しているだけで、陰茎を陰茎のようなものとして受け入れる穴にしか入らなかった。男は丁重に扱われるにせよぞんざいに扱われるにせよ、男として扱われるのではなく、なにか別の男に準じて扱われていることを感じていた。その別の男には、男は一度も相見えたことはない。男は男の青白い陰茎を知り、青白い陰茎も男を知っているが、その別の男を知ることはなかった。別の男が男を知っているのか、男の青白い陰茎を知っているのか、両者を知っているのか、知るべきなのか知らざるべきなのかを、男は知らない。だがこれまで男を知っていた誰かは、その別の男を常に知っていただろうことを、男は知っていた。なぜなら男や男の青白い陰茎を知る誰かは、その兄弟の片割れを知るときに、やはりその兄弟とは別の男を知っているように知ることしかしていなかったからである。男は自らの影に、いやむしろ正確には、自らを影として常に誰かの脳裏に存在している別の男の存在を否応なく感じさせられていた。男が別の男の存在を感じさせられているとき、きまって男の青白い陰茎は、空腹を覚えていた。男の青白い陰茎にとって、自らが何かに準じて扱われていたとして、そう、例えば柱であったり棒であったりプラスチック製の玩具であったり机の角であったり指であったり舌であったり肉であったり体温であったり遺伝...

駅で男は目覚めた:

 駅で男は目覚めた。そんなことは露知らず、遠い異国の地で眠りについた女がいた。女の名前はエミリー、あるいはイヴ、あるいはジャンヌ、あるいはキャロライン、あるいはネリー、あるいはノリコであった。女は美しい女だった。どの程度美しいかと問われれば、その女を見たことのない人々の、各々の想像力が「美しい女」をイメージし、そのイメージを形作り、そのイメージを一定の期間、保持する程度を損なわない程度には美しかった。そして女は眠りについていたので、以降、女の美しさが損なわれていくことも、消耗していくことも、減衰していくことも永遠になかった。その美を損なおうとする何ものも、その美を損なうことなしにその美によって損なわれ、その美を消耗させようとする何ものも、その美を消耗させることなくその美によって消耗させられ、その美を減衰させようとする何ものも、その美を減衰させることなくその美によって減衰させられていた。人々の小さい腕に許されていたのは、ただその美から、人々を徐々に遠ざけることのみだった。1人の男は、女を呼ぶのではなく、女の名を呼ぶことで、女を遠ざけた。1人の男は、女を見るのではなく、女の絵画を見ることで、女を遠ざけた。1人の男は、女に触れるのではなく、女の皮膚に触れることで、女を遠ざけた。1人の男は、女の息を聞くのではなく、女の声を聞くことで、女を遠ざけた。1人の男は、女を想うのではなく、女の想い出を想うことで、女を遠ざけた。1人の男は、女を知るのではなく、女の知を知ることで、女を遠ざけた。1人の男は、女を遠ざけるのではなく、女から遠ざかることで、女を遠ざけた。女は眠りにつきながら、男たちの枕元で、つまりは男たちの人生から最も遠い場所で、歌のようなお喋りを続けている。「あたしはあたしのことをあたしが呼ぶよりも快く呼ぶあなたを待っていたわ。あたしはあたしのことをあたしが見るよりもよく見るあなたを待っていたわ。あたしはあたしのことをあたしが触れるよりも優しく触れるあなたを待っていたわ。あたしはあたしのことをあたしが聞くよりもうまく聞くあなたを待っていたわ。あたしはあたしのことをあたしが想うよりも深く想うあなたを待っていたわ。あたしはあたしのことをあたしが知るよりも多く知るあなたを待っていたわ。あたしはあたしのことをあたしが遠ざけるよりも、もっと遠ざけるあなたを待っていたわ。あなた...

駅で男は目覚めた――

 駅で男は目覚めた。正確には、目覚め損ねた。目覚め損ねるという過ちを犯すことを、これほど正確にしてのけることは、未だかつて男の目覚めに際して起こり得なかったことである。おそらくは夢の中でさえ、男がこれほどまでに目覚め損ねることはなかった。男はうーんうーん、と唸り声を上げるが、それは欠伸でも、起き抜けに気道を開こうとする試みでも、声帯の自発的な準備作業でもない。男の精神は確かに目覚めに向かっていたのだが、男の身体は正反対に眠りへと落ち込もうとしていた。男は精神と身体に引き摺られるままに、目覚めと眠りの間で引き裂かれていた。男は2つの側に引き裂かれていたが、眠りと目覚めの往復運動の繰り返しに伴い、頻度と個数でいえば2つ以上に引き裂かれていた。男は、男が2度以上引き裂かれていることはわかっており、それゆえに男が1つではなく2つ以上の断片に分けられていることを数え上げることはできていたが、それは男が引き裂かれていることを認識していたからにすぎず、男が果たして幾度引き裂かれ、幾つの断片と化してしまっているのかは数えられずにいた。だが、未だ男は男が断片であることを認識する程度には、男としての総体を維持し、再度の統合を希求することへの欲望を捨てずにいた。男の精神と身体は、「あちら」と「こちら」に引き裂かれていたが、「あちら」の男の断片にとっては「あちら」といってもそれは「こちら」であり、むしろ「こちら」の断片のほうが「あちら」にとっては「あちら」の断片であった。それは取りも直さず「こちら」の男の断片にとっては「こちら」が「こちら」であることを意味したまま、「あちら」の男の断片にとっては「こちら」も「あちら」であることを意味することを否定しなかった。ゆえに男の統合への欲望は、果たして「あちら」へと赴くのか、それとも「こちら」へと戻るのか、どちらの方向性も与えられずに、留保されていた。男は「あちら」と「こちら」のどちらに優位性――統合の主導権、主たる位置を占めるか――を与えるのかを決めかねる故に、方向性の賦与を留保していたというよりは、Aの断片がBの断片に統合されようと、Bに向かって集合しようと移動する際、まさにその同時期にBの断片がAの断片に統合されようと、Aに向かって移動するすれ違いを危惧するがゆえに、移動のきっかけとなる何らの意思表示も顕せずにいた。男は夢の中にいるがゆ...

駅で男は目覚めた 

駅で男は目覚めた。朝日の当たるベンチの上で、いつの間にか座り込んでいた。いつから腰を下ろしていたのか、いつから眠りについていたのか、男にはわからなかった。どこかへ行かねばならない。立ち上がって、背を伸ばし、頬を張って、目を輝かせ、力強く一歩を踏み出さなければならない。何かが自分にそう命じている。いや、そうあるべきだという自分の憧れが、自分を追い立てるようにその影像を自分の脳に課している。行き先さえ定まればおれは立ち上がるだろう。力強い一歩を踏み出しさえすれば、次の一歩は勝手についてくるだろう。そうおれに教えたのは誰だったか。教えられたと思い込んでいるおれがいるだけだったのか。なにもせずになにかを学んだという気がしていただけのおれが。いずれにせよ男は駅から出発しなければならなかった。いつまでも駅にとどまることはできなかった。果たしてこの駅は始発駅であるのか、終着駅であるのか、中継地であるのか目的地であるのかも定かではなかった。そしてそのどれに該当したとしても、男にとっては大して意味がなかった。男はそこから始める気も終わる気もなく、続ける覚悟も止める意志もなかった。男にとっての問題は、自分の腰掛けるベンチに肘掛けがないことだった。正確には肘掛けはあるのだが、ベンチの端に設えられているために、男の坐っている位置からは届かないのであった。それは男にとっては肘掛けがないのと同じであった。男の肘は明らかに落ち着きを失っていた。肘のやり場のなさ故に、男は腕を組み、解き、脇を締め、そして緩め、腕を伸ばし、また折りたたみ、腕を伸ばしながら脇を締めたと思えば、すぐさま腕を組んだまま肩をぐるぐると回すように蠢いた。男は肘掛けの近くに躙り寄ることはなかった。一度立ち上がって、ベンチの端に移動することはなかった。誰かに命じられれば、あるいは少しは動いただろう。だが男に命じることのできるものは誰もいなかった。男自身にすら、男に対して何かを命じることはできなかった。男はそれをよく知っていた。忘れたいほどに知り尽くしていた。何かの偶然が必要だった。男の自発ではなく、外的な何らかの偶発によって、男がそこを離れるに足る必然が生まれることが期待されていた。男は男に何らの期待もしていなかったが、ただ男にそうさせる何かに対しては限りないと言っていいほどの期待を抱いていた。その期待だけが、肘掛けを持たぬ男を支...