『ココア共和国2022年9月号』佳作掲載と感想
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拙作「ここからここまでが」が、詩誌『ココア共和国2022年9月号』投稿詩佳作集Ⅰに掲載されました。佳作集は電子版のみの掲載です。
平明な言葉に、日々ふと感じるような不条理感を込めてみました。
よろしければご観賞ください。
ここからは、佳作集投稿詩の作品についての感想です。
同年生の方々の詩を対象としてみました。
沢井港一「映画的未来世紀をアップデートする」
フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(あるいは映画なら『ブレードランナー』?)を意識して書かれた詩のようです。
ハッピーエンドもバッドエンドも、それらが対立項であるかぎりはおよそ等価のように思えますが(いずれにしろ「エンド」であるならば)、詩人の「アップデート」の方向性がハッピーエンドやバッドエンドをも乗り越えていくことを、未来的に期待してみたいところです。
現代詩ジェントルマン「世間」
「僕は雄叫びをあげながら コンテクストの裏側に回り込む」というフレーズが面白いです。結局の所、詩でもなんでも、望むと望まざるとに関わらず、何らかの文脈によって判断されるのが世の常です。つまり、「書いていないこと」によって「書かれたもの」が位置づけられるわけです。世の作家の方々は、それを意識しつつ世に作品を産み落としているのでしょうが、やはりどこか不条理感は否めません。詩中に<>や()でくくられた言葉も、それらをコンテクストから隔離すべく配置されているのかも知れないですね。
酉果らどん「ぼくの両親はテレビジョン」
「街を歩く人間たちは 徐々にニセモノにすり替わり 知らないうちにロボットに」という箇所で、諸星大二郎の『夢みる機械』を思い出しました。それはさておき、同号の傑作集でも笠原メイ氏の「テレビジョン」という詩がありまして、まぁ何だか身近な大人たちはテレビに対してアレコレ取り留めもない文句を楽しそうに言い続けるものだなぁ、直接的に社会の課題をどうにかしようという気もなさそうなのになぁ、と常々感じていた私は、「両親はテレビジョン」(酉果らどん氏)や「父親はテレビが宗教だった」(笠原メイ氏)などのフレーズに、勝手に共感しているところでありました。
さはさりながら、ロボットなどとは違い、惰性や慣性によって、あたかも「テレビ」になってしまえることこそ、むしろ「人間らしさ」と形容できるのではないかという気もしています。許容できるかはさておいて。
ここまでが感想でした。
また会う日まで。
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