紙コップが話しかけてきた話(8)

揺れが収まってほどなく、あぁ、もうこの紙コップが声をあげることはないのだな、とふいに俺は気がついた。もうこの紙コップは動かないのだなと、俺は理解した。もうこの紙コップに俺が見られることもないのだなと、俺は腑に落ちた。立ちあがり、紙コップを上からのぞき込むと、紙コップの口から紙コップの底が見えた。深くもなく、浅くもなく、ただ空であるがゆえに見える基底だった。そこで何かが受け止められることはあっても、そこから何かが生みだされることはない深み/浅みが其処に在った。出し抜けに、涙が目の端から溢れ、頬と笑窪と顎とを伝い、俺から離れて落ちた。

(いや、実のところそれは、鼻腔から這い出た鼻汁が、頬と笑窪と顎とを伝って行ったのかもしれない。その時期俺は花粉症に悩まされていた。もしくは、欠伸の際に唇から垂れた涎が、頬と笑窪と顎とを伝って行ったのかもしれない。その時俺は欠伸が出るほど退屈していた。あるいは、涙と鼻汁が混ざり合って、頬と笑窪と顎とを伝って行ったのかもしれない。花粉症の時には涙も鼻汁も出るものだ。または、涙と涎が入り混じって、頬と笑窪と顎とを伝って行ったのかもしれない。欠伸をするときには涙も涎も出るものだ。または、涎と鼻汁が混成されて、頬と笑窪と顎とを伝って行ったのかもしれない。花粉症の時に欠伸が出ない道理はない。ひょっとすると、涙と鼻汁と涎とが混淆しあって、頬と笑窪と顎とを伝って行ったのかもしれない。その場合、鼻汁は花粉症のモノ、涎は欠伸のモノと、その出自を断定することができるが、果たして涙が花粉症の症状で出たものなのか? 欠伸につられて出たものなのか? その両方なのか? どちらでもない理由で流れたものなのか? でなければ、流れ出た液体とは汗のことであったのかもしれない。その時の俺は、健康とは言えなくとも不健康ではなく、理由のない興奮状態で体温が上昇気味であったともいえるし、原因不明の羞恥と恐怖とで体の芯まで冷え切っていたので、玉の汗と冷や汗が、顔面のどこかから分泌されて頬と笑窪と顎とを伝って行ったのかもしれない。ないし、汗と涙、汗と鼻汁、汗と涎、汗と涙と鼻汁、汗と涙と涎、汗と鼻汁と涎、汗と涙と鼻汁と涎が、俺の顔の何処かで合流して、頬と笑窪と顎とを伝って行ったのかもしれない。)

いずれにせよ、俺から離れて落ちた一滴の水は、風のない空間を下降し、紙コップの口の中へ向かいながら、紙コップの中に滴ることなく、紙コップの脇に墜落した。紙コップの脇ということは、紙コップの置かれている机の上ということである。俺から生まれ、俺を伝い、俺を離れたこの一滴は、この紙コップには一切触れることなく、当然紙コップからそれに触れることもなく、以後俺に触れることもなく、二度と俺からそれに触れることもなかった。せいぜい知らない人間がその有り様を一瞥して、“紙コップに何らかの液体を注ぐ際に、紙コップに入れ損ねたか、紙コップから撥ね落ちた一滴なのだろう”、といった不誠実な連想を生む可能性のみを宿しているように思われた。後は、誰かに拭き取られるか、乾いて空気中へと霧散するか、その程度の末路のみが残されていた。そしてその道筋を辿る水滴を、誰も見送ることはない。しかし誰に見送られることがなくても、この水滴は確実にその道程を踏破することだろう。それだけはわかっていた。

目の端にその水滴を捉えながら、紙コップの口の縁に沿って眼球をぐるりと廻してその円形を視線でなぞる。何一つ変わらない世界の風景が、何一つ変わることなく戻ってきた。もう一度目玉をぐるりと廻してみるか、今度は反対方向にぐるりと廻してみるかを逡巡した時、紙コップから声が聞こえてきた。

「……ふぅ、やっと出てくることができた」

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