紙コップが話しかけてきた話(12)

紙コップに話しかけられてから、ゆうに6日が経過していた。我々は、人も紙コップも等しく時の奴隷にすぎない。飲まず食わずで相対している144時間あまりは、紙コップにとっても飲ませず食わせず佇んでいる8,640分間であった。互いに意思の疎通も量れず、役目の一つも果たせず、かといえ立ち去ることも持ち去られることもできないままの518,400秒間は、片時も瞬きの許されぬひとときの不届きなもたつきに費やされた。

時の過ぎ行くままに行き過ぎてゆく時の内と外で、僕は紙コップのことを忘れた。紙コップも、僕のことを彼の記憶・海馬・メモリに留めおくことはしなかった(今さら口にするまでもない紙コップについての、今さら口にするまでもない事実ではあるが、一応付言しておくと、紙コップに記憶や海馬やメモリやストレージがある筈もなく、そこに保持・蓄積・保存・収容されるべき何ものも、保持・蓄積・保存・収容を可能にする場がなければ存在を許されないのだから、紙コップも、僕も、紙コップが伝えようとしている何事かも、ありもしない場にあることはあり得ないのである)。結果的に、互いに相手を忘れ去ったことで、紙コップはただ誰かに話したかった何事かを抱え、僕は誰かに何かを告げられる準備をしたまま停止した。

何事かが起こってから、もしくは何事かを始めようとしてから、無為に6日が経過していることだけが自明であった。その「何事か」を解明しなければ、この6日から先へ進むことすらできないと、僕は明快に感じていた。

ならば僕のやるべきことは決まっていた。それは6日間のはじまりを定めることでも、6日間の終わりを定めることでも、その一日一日に何がしか「在れ」と祈ることでもなかった。

何事かによって生じた6日間を克服し、6日間という時間の果てに隠されたその何事かを見定めるためには、その6日間を無くなしてしまうことだけが逆説的に必要だった。単純な引き算の問題だ。(6日間+X)マイナス6日間=X。6日間を、6日間でありながら、6日間ではもはやないものへと、自ずから変じさせてしまう証明の過程を開始すること。数に因りて解して分けよ、繰り返すことなく組み立て直せ。

そこでは、全体も部分も繋ぎもアウラも忘却し、数直線の始点を記すジェットインクの容器の梱包の資材の倉庫の土地の所有の権利の根拠の法の判例の経験の綜合の概念の志向の嗜好の思考の能の脳の納の体の態の対たる何かの、待ちわびた旅立ちを旅立たせてはならない、ということは言を俟たない。

ただひとつ、それでも忘れてはならなかったのは、僕はその計算を間違えなければならなかったということだ。


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