紙コップが話しかけてきた話(2)

思わず口に出して聞いてしまったが、何も俺が数も数えられなければ、紙コップの上下もわからない馬鹿野郎だというわけではない。これは少し頭を働かせれば当然湧き上がる疑問のはずだ。

というのも、普通に考えたならば、紙コップ、もといコップの形状をしている物体の上下というものは、口のひらいている方向が上で、その反対側に位置する底の方向が下にあたるはずだ。一般的にコップの上下がどうなっているかと問うたらば、10人が10人、開いた口がコップの上で、コップの底がコップの下だと答えるだろう。なぜならコップを使うとき、つまりコップに何か飲料を注いで飲むときなどは、コップの口を上にして、コップの底を下にしなければ、飲料を注ぐことはできないし、飲むこともまたできないのだから。ゆえにコップの上下は、コップの口が上で、コップの底が下というのが自然な考え方である。

しかし、コップに特に飲料を注ぐでもなく、飲料を飲むためにコップを手に持つでもないときには、話が変わってくる。つまり未使用の紙コップを重ねるにしろ、洗い終わったマグカップを置いておくにしろ、その時にはコップの口を下にして、コップの底が上になっている状態、すなわち上下さかさまになっているのが常ではないだろうか。このさかさまの状態では、コップの底が上で、コップの開いた口は下だ。なぜなら紙コップを置いておく時には、コップの底を下にして置くよりも、面積の広いコップの口を下にして置いた方が安定するのだし、洗い終わったマグカップを置く時には、その水滴がコップの底を下にして溜まってしまわないように、コップの口を下にして、そこから外へ出ていくようにしておかなければならないからだ。ゆえにコップの上下は、コップの底が上で、コップの口が下というのが自然な考え方である。

では、この紙コップが指示している「下から」という方向は、コップの底にあたるのだろうか、コップの口にあたるのだろうか。もし、ごく一般的なコップイメージから導き出すのであれば、前者の「底」が下にあたるだろう。それに従って、重なった紙コップのタワーを、普段コップを使うときのように立てて、下から6番目の紙コップを特定すればいい。あるいは、未使用で置いてある紙コップの状態を尊重するのであれば、後者の「口」が下にあたることになる。それに従って、重なった紙コップのタワーを、未使用で置いてある状態に立て直して、下から6番目の紙コップを特定すればいい。それだけのことである。

それだけのことではあるのだが、今の俺にとって、確かな決意のもと、そのどちらかを選び出すことは難しかった。なぜなら、そのとき俺は、その紙コップを「使って」いたわけでもなく、かといって「使わずに」置いていたわけでもなかったからだ。今はただ、紙コップが俺に話しかけてきている状態だ。こちらが紙コップを使うときのように、あるいは紙コップを使わないときのように、紙コップの上下を決めてしまうことには些かの躊躇がある。おそらく紙コップにとって失礼にあたるだろうし、何より、もしも間違えて上下を選んでしまったなら、あまり好ましい事態にはならない予感がしていた。ただでさえこの紙コップは、先刻、俺が全く別の紙コップを、間違えて取り出してしまったことで、機嫌が悪いのだ。恐らくこれ以上の誤りは許されない。

果してこの紙コップは、俺が紙コップを使うときのように上下を捉えているのか、それとも紙コップを使わないときのように上下を把握しているのか、それとも此方の想像も及ばないような、紙コップ独自の仕方で上下を定義づけているのか。紙コップが俺に声をかけてきたとき、その紙コップタワーが横倒しになっていたということも、事態を錯綜させていた。俺一人ではその答えにたどり着き、決断を下すことはできそうになかった。


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