女が生まれた。服を着た女が。

女が生まれた。服を着た女が。父は服のみを産み落とさずにいたことを嘆いた。
母は祖母によく似た糸を裁つ頃にようやく笑みを浮かべた。女は赤子ではなかった。
女は少女ではなかった。女は母ではなく、女は父でもなかった。女は老婆ではなかった。
ただ女は服を着た女であった。女の産声は産婆の耳鳴りに掻き消されて誰の耳にも届かない。

胎盤を透かして見た臀部の裏の襞の間にかいた汗の一滴を波が攫っていく。
全ては嵐の前触れなのか? 嵐こそが静けさの前触れに過ぎないのか?
父は息子ですらないのに母なる海に還ろうとしたが、ついに還ることも帰ることもなかった。
母は覚えることのなかった女の顔を忘れるように、父の遺した言葉を書き損じた。

女は故に女であった。服を着た女。ただ女であることを認識されていればそれで済む女。
名前も好きに付けて良い女。好きな顔で、好きな表情を常に浮かべることにしていい女。
好みの声をしていてよい。仕草も体つきも思う様、好きにして良い。
だが誰も女に対してそれを持続的に望む努力を果たせなかった。故に女は女であった。

女を見た。女は暮らしていた。服を着ていた。化粧をしていた。バッグを持っていた。
女を見た。女は笑わなかった。許さなかった。創らなかった。瞬きをひとつもしなかった。
扉をたたく人があった。扉を叩くことが仕事であった。
女にはそんな仕事とそんな仕事をする人があることが信じられなかった。

だから女は扉を開き、開いた扉を人にぶつけた。
女はすぐさま警官に取り囲まれ、連行されていった。
女は女を見ている視界の外へと連れられていった。
女を見ている視界は固定されたように動かず、女を追いかけなかった。

女の顔は視界に映ったはずだったが、そこには何の思い出も残らなかった。
だから女を見た視線は、女が泣いていたことにした。服は喪服の黒だったことにした。
視線はただ女を損ねたものだけを記憶した。桜並木、朝靄、曇り空、電線、命綱。
小さな傷が存在の輪郭を形作るように、女はいつもそこにはいない女だった。


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