散歩日記 2

散歩をする。気が向いた時、足が向いた時、時が向いた時。

何処かに行きたい時、此処から離れたい時。

仮にこれを健康のためなどという目的にのみ還元してしまったら、自分の見た景色の彩さえ失せてしまうような気がする。

住宅街の上だろうと、電線の上だろうと、思いを馳せるには十分に高く、遠く、広い空。

この身も悩みも存在も、空と比べて矮小化することで、辛うじて居所を見出すようだ。

自分の感覚を自分よりも広くもつこと。薄く引き延ばして、透過させるように。

自らに滞留する淀みの濃度を、相対的に希薄化させる。

腕を広げるよりも腕を広げ、指を広げ、脇を広げ、体を開くより体の空間の広がりを感じる。

大地を通り抜けていく風が、今、ここに来たという瞬間を、肌で感じるために。

しかし汗をかいた皮膚は痒い。

端から確固たる感覚を掴めるわけではない。ズレは許容しなければならない。

鋭敏ではない皮膚感覚の故に、痛みを感じない鈍さに救われてはいるのか。

気づけば見渡す家々の一人ひとりを、知らぬままに生きている。

僕も家々のうちの一人として、知られぬままに生きている。

空の下に生きていても空は僕達を包んではいない。空がいかに広くとも。

降られた雨は僕らを染みとおっていくだろうか。それがいかに浄められても。


©Keiichi Yoda

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