ないことについて

テーマがない。

やりたいことがない。
いきたいところがない。
ほしいものがない。
興味がない。

あるものはあるのだけれど、あるべきものを考えることができない。
あるべきものがないというよりも、なにがあるべきなのかがわからない。
もしくは決めることができない。

なぜ決めることができないのか。
決断力がないから?
決める気がないから?

そのどちらも正しいような気がする。
ただ決めることが、多かれ少なかれ苦痛を伴う。
他人から見てどう映るかはともかくとして。

決めるということは、一方を選び他方を捨てることだ。
捨てたものを再び拾うのは、そうできることではない。
いや、捨てたものを再び拾おうと試したことすらないのだけれど。
あるいは捨てたものは拾うべきではない、拾おうとすべきですらないという、
自分でも理解し難い「決め」のようなものが自分の中にもある所為だろうか。

兎も角、決断することは選び取り、捨て去ることだから、痛みを伴うのだ。
これから痛いということがわかっていることについて、
人は及び腰になってしまうものだ。
いや、自分だけのことかもしれないけれど。でも他人もそうなんじゃないか。

知りようもないが、決断に伴う痛みの記憶ばかり蓄積するから、
歳を取るにつれて、特に新しいこと・知る由もないことについて、
何かを決めることが疎ましくなってくるのだろうか。

既知のものについては、慣れているから、経験上、
たとえ痛くとも、バカでも身の躱しようを理解しているものだ。
だけど、新しいものに伴う危険は、経験や慣れによって回避することができない。
ひょっとすると致命的なダメージを喰うかもしれない。
再起不能になるかもしれない。それだけは避けたい。

だから人は、見知らぬ天使よりもよく知る悪魔を選ぶのだ。
飽き足りず、満ち足りぬまま、腐り果てる。
退屈しているが、面倒くさい。
何かが始まってほしいのだが、何も始めたくないのだ。

さて、どうすればいいのだろう。

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