虚空宏大もない厭かずの間
数字をこねくり回して、ああでもないこうでもないと唸るような日々。
なんのために数値を出すのか。
定量的な尺度で評価したいからだ。
なぜ定量的でなくてはならないか。
より客観的であると思われるからだ。
定性的に、「よく頑張っている」とAさんとBさんが自己評価したとき、
その内実に、天と地ほどの開きがある場合がある。
あるいは性質が全く異なるということがままある。
定量的にAさんとBさんが「10」の結果を出したと評価できるのなら、
数値の出し方が恣意的に過ぎなければ、「ほぼ同じ」と評価ができる。
また、数値の出し方を継続しているのであれば、
経時的な変化を客観的に把握しやすい。
「10」を「15」にしたのなら、結果が良くなったと言えるだろう。
「前よりもよく頑張った」だけでは、どれくらい頑張ったのかはわからない。
仮に、「10」を「15」にしたAさんと、「10」を「100」にしたBさんとを評価するとき、どちらも「前よりもよく頑張った」のだとしても、同等に評価するのはむしろ不当である。
客観的な評価、あるいは、より公平性・中立性が担保されうる評価には、
数値が必要不可欠だ。
もちろん、頑張ってはほしいのだ。
だが、無駄な頑張りはしてほしくないのだ。
正当な手続きで、数値にポジティブな影響の出るプロセスを確立したいのだ。
可能な限りで、よりよく頑張るために、数値的にも見てみるのだ。
そして、どのように数値を出すかが、ある意味最も難しい。
定性と定量の相互補完ができるような設計を考えなければならない。
取ろうとしない数値は取れない。
目的に照らして、把握したい現実を反映していない、いびつな数値が取れてしまうことがある。
不確定要素のコントロールに失敗し、対して意味のないデータのまとまりができあがる。
数値が在るのではなく、数値化していることを、念頭に置くこと。
数値を出すのは手段であって目的ではない。
数値による現状の把握、問題の分析、評価による方向づけこそが目的である。
その目的を忘れずにおくこと。
その目的に基づいて判断・評価すること。
その位置づけと関係性を、周囲と適切に共有すること。
実に、むづかしいことである。
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